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新里善和の仕事史
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上の図は「久恒啓一図解web」を参考に作成しました。
| 西暦 | 仕事歴 | 経験歴 | 学習歴 |
|---|---|---|---|
| 1973年 | 沖縄配電㈱入社 | 県立南部工業高校電気科を卒業、県外就職を目指すが、一週間で沖縄に戻る。 沖縄県内で就職 | |
| 1976年 | 電力・5配電合併により沖縄電力社員 字の青年会長6期、続き村の青年会長に2期就任 | 前後して青年活動(地域そして労組)に没頭 | 職場の先輩の奨めで人材開発センターMSIの自己開発セミナーに参加 |
| 1980年 | 労組役員に就く | 労働組合のローカルセンター・沖縄地方同盟へ出向、民間労働運動を学ぶ | 文部省が主催する全国青年教育担当者セミナーでニュージーランド・フィージーの教育担当者と交流 |
| 1991年 | 連合役員に就く | 連合結成2期目にあたり、連合沖縄の副事務局長へ。活動領域の広がりから、官民労働運動に接する | 義兄の奨めでアークインターナショナル(横浜)の自己開発セミナーに参加 |
| 1993年 | 北方領土へのビザなし交流で島を視察 | ||
| 1995年 | 沖縄県民総決起大会の事務局次長に就任 | アメリカ兵の少女暴行事件に端を発した沖縄県民総決起大会の動員対策を担当、集会会場への8万5000人の参加者の安全な誘導をはかる | |
| 1996年 | 沖縄電力労働組合副委員長就任 | 社員福祉の充実をはかるため、福利厚生制度の見直しを進め、カフェテリアプラン(選択型福利厚生制度)を提案。 同時に、ユニオンカンパニー(労働組合が出資する株式会社)の設立を企画提案 | |
| 1999年 | 沖縄電力労働組合委員長就任 | 組織改革や青年育成に力を入れる ユニオンカンパニー・株式会社沖電ビジネスサービスを設立 | |
| 2001年 | 連合沖縄事務局長就任 | 県産品愛用運動を労働組合の立場から提案、全国会議レベルの各種会議の沖縄開催でかりゆしウエアの着用を促進 労使就職支援センターの設立に事務局長として関与 青年教育に力を入れる 「3日に1回はマスコミに取り上げられる」ことを目標に労組PRを強化 | |
| 2003年 | 職場復帰し、沖縄電力㈱本店へ | 連合沖縄事務局長を退任、沖電本店総務部で社員教育の担当になる。社員教育の充実に取り組む | |
| 2004年 | 人材開発室 室長 就任 | 沖縄県生産性本部のもとに、人材開発研究会を設立し、人材育成担当者の交流の場をつくる 社員教育にEラーニングを導入 | 週末起業セミナーに参加 速攻ライティングセミナーに参加 |
| 2006年 | 沖電営業部門へ配属 | 本店ソリューション営業部で部次長に就く。オール電化住宅の普及を通じて、マーケティングを学ぶ | 問題解決手法T・T・W基本・応用研修に参加 インテリアデザイン塾「夢人塾」に通い、建築パース技法について学ぶ 与那原商工会の連続講座(70日コース)経営革新塾でインターネット・マーケティングを学ぶ 沖縄ビジネススクールで、マーケティング、プロダクトデザインについて学ぶ |
| 2008年 | 沖縄電力㈱を退職 | 会社設立準備 | |
| ㈱オフィスかず設立(4月) | スタッフが10名以下の会社やお店の集客のお手伝いをするために、自らも小さな会社の代表になる | 株式会社輝点。(平秀信社長)主催のKMS 2nd-携帯マーケティングシークレット2nd-(in大阪)でケータイマーケティングについて学ぶ | |
| 2009年 | リスクマネジメント研究会沖縄支部 支部長に就任 | 全国リスクマネジメント研究会(東京)からの要請を受け、沖縄支部の支部長に就く。毎月の例会の開催、隔月のセミナーの開催に奮闘中! |
好きな言葉は「自己成長に制限速度なし」。自己成長のキーワードは「しゃべってしまってモチベーションを上げる。自分向上!運動実行中。」



電力・5配電合併により沖縄電力社員